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7.サルサの歴史〜スパニシュ・ハーレム

ニューヨークの東ハーレム地区が
スパニッシュ・ハーレム(エル・バリオ)です
元は貧しいイタリア人居住区でしたが
徐々にプエルト・リコからの移民が増え
50年代にはニューヨーク最大のプエルト・リコ人居住区
となります
ニューヨークのプエルト・リコ人のことを
ニューヨリカンと呼びます

ミュージカルで有名な
「ウエスト・サイド・ストーリー」は
ここでのイタリア人とプエルト・リコ人の
少年ギャング団の抗争を描いたものです

アメリカの自治領となって以降
豊かなアメリカで一旗あげようと次々出てくるわけですが
ろくな仕事は見つからず
犯罪、ドラッグが蔓延する不衛生な
ニューヨークの最下層居住区を形成するわけです

移民で貧しいのはイタリア人
もっと貧しいのが黒人
更にその下がプエルト・リコ人でした
ニューヨークの犯罪者ベスト3です

プエルト・リコのミュージシャンも
ここに住んでいました
キューバ人の去った後の
ラテン音楽の主役となった彼らは
仕事のないときには
スパニッシュ・ハーレムのクラブや路上に集まって、
デスカルガを繰り返します

デスカルガは、ジャズで言うジャム・セッションです
テーマを決めて、各パートが次々と即興演奏をします
やがて彼らの技術は飛躍的に向上します
http://www.youtube.com/watch?v=fh9ZtTqwhno
(これはだいぶ後の71年ファニアのデスカルガです
熱気がすごいです)

ここでポイントはジャズの影響です
ジャズはニューヨークの黒人を中心に
50年代、60年代急速に発達し
大きなマーケットを形成しました

プエルトリコ・ミュージシャンも
ジャズを学び、特にパーカッションは
たくさんジャズのライブやレコーディングに
参加します

実力をつけた彼らの中から
ラテン、ジャズのメジャー・アーティストが
生まれていきます

今回のキーワードは
エル・バリオ、ニューヨリカン、デスカルガ

バリオはスペイン語で「村」のことですが
ニューヨークのラティーノたちは
自分たちの街を親しみを込めてそう呼びます

つづく